HempLake

つれづれなるままにつらつらと。文字数がやたら多い。

ピアノレッスン

読書カテゴリで書いてるけど、これ読書の記事なのだろうか。

まぁ、いいや。

書き始めた現在時刻、2017年2月16日午前5時3分。

冬の早朝、徹夜明け、さむい部屋。

私の右手は肩から手先まで筋肉痛の一歩手前というところまで来ている。

なぜって?

深夜のテンションでYouTubeみながらエアピアノしてたからです!!!

私にはいま、夢があります。

夢と言っても将来のこととか老後のことではなく。

弾きたいピアノ曲があるんです。

ここから長いです(笑)

①ピアノ教室

②『さよならドビュッシー

③クラシックと家事の話

④『蜜蜂と遠雷

⑤深夜のテンション

順にざっとこんな感じで、五章仕立てです(笑)


①ピアノ教室

ピアノは小学3年生から高校3年生まで習っていました。

というと年数長いしけっこう色々弾けそうな印象ですが、実際のところはてんでダメです。

なぜかというと、

多動症

・飽きっぽい

・練習しない

・音符が苦手

こういう性格だからです。

椅子に座って指の練習して譜読みして何度も弾いて、という作業が苦痛なのです。

譜読みはほんと苦手でした。もちろん楽譜は読めますが、けどやっぱり読めないんですね。

上手く言えませんが、耳から入るタイプで、一度暗譜したら楽譜を見ると逆に弾けなくなってしまいます。

わけのわからんオタマジャクシがいっぱい並んでるようで、どこを弾いてるのか自分でもわからなくなっちゃうのです。

若干ディスレクシアの傾向もあるのでしょうか。

また、私の習っていたとこは小さなピアノ教室で、先生はわりと自由な方でした。

つまり、ツェルニーとかの練習曲を順番にやっていってクラシックを弾いて、という雰囲気のとこじゃなかったのです。

発表会の曲は自由に選んでよし。いまどきのアーティストのロックやポップスでもOK。

難しいところは簡単にアレンジ。長い曲はキリの良いとこでぶっつりきって終わらせちゃう。

そんな感じです。

しかも、先生は私の保育園(厳密に言うと保育園じゃないのだけど)の保母さんだった人です。

つまり生まれたときから知っている仲。遠慮もくそもあったもんじゃありません。

そのため「先生」と呼んだこともなく、ずっとあだ名でした。

喧嘩もしょっちゅうしたし、何度も口答えをしては困らせました。

そんな感じでそれでも続けていたのはなんだかんだ音楽が好きだったんだと思います。

いまでも実家に帰るとピアノに触ります。

といってもレパートリーは

プラネタリウムBUMP OF CHICKEN

・supernova(BUMP OF CHICKEN

・彩り(Mr.Chiidren)        

・アニトラの踊り(グリーグ)         

アラベスク第2番(ドビュッシー)       

たったこれだけ。10年も習っていて、これだけなのです。

あとは小学生の時弾いていた紡ぎ歌と、姉が練習していて耳コピした数曲(しかも途中まで)くらいでしょうか。

そんな私が無謀にも弾きたいと思った曲。

それは、超絶技巧で有名な某ピアノ曲です。

その曲を知ったのは、とある本がきっかけです(お、読書カテゴリっぽくなってきたぞ)。

②『さよならドビュッシー

中山七里『さよならドビュッシー

このミステリーがすごい!」にも選ばれた、音楽ミステリーです。

ざっくりいうと、ピアニストを目指す少女が火事に合い全身やけどで皮膚移植をするも、

天才的な指導者の下で壮絶なリハビリを経てコンクールに出場していくスポ根系小説です。

この本を手に取ったのは、ドビュッシーアラベスク第2番を人生最後のピアノ発表会で披露した後のことでした。

曲がりなりにも10年続けたピアノ、その最後の発表会で、私は最年長としてトリみたいなものを務めました。

さすがの私もかなり練習しました。

昔、発表会で見たお姉さん方がクラシックを綺麗に弾きこなし、それをきらきらした目で見ていた私。

私も教室の小さな子たちの前で、そういう演奏がしたい。

その一心でアラベスクを弾くうちに、いつしか叙情的かつ遊び心のあるドビュッシーの虜となっていたのです。

だから、本屋さんでドビュッシーがタイトルに入っているミステリーを見て、手に取らずにはいられませんでした。

けれど、たくさんのピアノ曲が出てくるその本の中で私が一番気になったのはドビュッシーではありませんでした(笑)

それがいま弾きたい曲、リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」です。

熊蜂がぶんぶん飛ぶところがそのまま音楽になった、とにかく速くて超絶技巧で有名な曲です。

といってもまだ、存在を知る→CDで聴いてみる→好きになる、という段階です

自分で弾いてみようとはこれっぽっちも思いませんでした。

③クラシックと家事の話

私クラシック聴くの大好きなんですね。演奏会も行きますし、家でCDも聴きます。

掃除や皿洗いやハンドメイドの制作等、何かを集中してぐわっとやりたい時にクラシックを聴きながらやります。

そうすると、無音状態より効率がいいんですね。

歌が入ると歌詞が気になっちゃうから、そういう面でもクラシックは最適です。

で、一番リピートしてるCDが、ピアノの楽譜の付属CDで、そこに熊蜂の飛行が入ってるんですよね。

あれを聴くと一気にテンション上がって「よし、やったるで!」って気分になります。

そのテンポ感のよさ、『さよならドビュッシー』のキーポイントという思い入れ、やる気スイッチを押してくれる強い味方、

そういったものから熊蜂の飛行はいつしかかなり好きな曲となっていました。

でもまだ、自分で弾こうとは思いません。

そんなん無理に決まってます。

なんせ楽譜読むの苦手だし、ピアノをやめてとっくに年数立ってるし、そもそも下宿先にピアノなんてないし。

そう思ってたのですが…。

④『蜜蜂と遠雷

はい、来ました。私が愛してやまない恩田陸の著作、『蜜蜂と遠雷』です。

この本は読んでそりゃもうものすごい衝撃と感激を味わったのでまた別記事にすると思います。

なので詳細は割愛。

で、この本。こちらもピアノコンクールがテーマの小説です。

音楽に対する愛と、音楽の持つ広がりや色彩と、「天才」たちとが、ぎゅぎゅっと詰まった作品でした。

それで、思ったんです。

私もこの人(登場人物)たちみたいにピアノが弾いてみたい、って。

こんな感覚初めてでした。

『さよならドビュッシー』やその続々編『いつまでもショパン』では、こんな気持ちになりませんでした。

本を読んでピアノが弾きたくなるなんて。しかもただのピアノじゃなくて、超絶技巧の曲が弾きたくなるなんて。

でも、なぜそれが「熊蜂の飛行」なのか。考えてみました。

・コンクールものということで『さよならドビュッシー』が頭をよぎった

・『蜜蜂と遠雷』から、「蜂」を想像した

・叙情的なものより指の練習的なもののほうが一人でも音読みできそう

・好きな曲だしいつも聴いてるから音は耳に入ってる

Youtubeにスロー再生音源があった(のでより弾けそうな感じがした)

なかなか単純な思考です。

けど、なんだかできそうな気がしました。

無謀にもほどがあるのは重々承知の上です。でも、スローならできそうな気がしたんです。

というわけで去る2月14日、帰省していた私は久々にピアノの蓋を開けさっそく練習してみました。

まずはYoutubeのスロー再生音源を楽譜を見ながら飽きるほど繰り返し聞きます。

通常速度を聴きなれた耳にスローがなじんできたとこで、区切りながら自分でも弾いていきます。

するとなんと。弾くこと2時間弱でしょうか。

スローで、しかも途中までで、右手だけですが、間違えずつっかえず弾けるレベルに達することができたのです。

これは楽しい。

たのしいぞ!

⑤深夜のテンション』

で、下宿先に戻りいまに至ります。もう6時25分になりました。

ハンドメイドの制作を終えたのが深夜2時。

そこでさっさと寝ればよかったのに、何を思ったかご褒美のチョコを食べつつ『蜜蜂と遠雷』の2回目をよみ始めてしまったのです。

あーあ。

読み始めたらそのままずるずる読んじゃうに決まってるじゃないですか。

で、途中でどうせなら作中に出てくる音楽を聴きながら読みたいなと思って、Youtubeでリストの「鬼火」を検索し始めちゃいました。

そこから動画サーフィンの始まりです。

「ずいずいずっころばし」「イスラメイ」などあれこれ聴いたのちに、「熊蜂の飛行」が聴きたくなりまして。

で、聴いてたら、前半部分だけは弾けるようになってるから、一緒に指を動かしてみたくなるじゃないですか。

というわけで冒頭に述べたとおり、異様なテンションでエアピアノをするに至ったのです。

なかなか弾きなれないので、その速さで動かすと指が攣りそうです。二の腕の筋肉が悲鳴を上げます。

さすがに朝をむかえて冷静になると、ヤバい人にしか見えません。

わたしゃいったいなにやってんだ。

あー貴重な睡眠時間が。

けど、やっぱり私は読書と音楽が好きなんだなって実感できました。

幸せな気分に浸りつつおやすみなさいといいたいとこですが、お昼には四大陸選手権が開幕するのであまり寝てられませんね。

なぜ、わたしは読書からのエアピアノで徹夜なんかしちゃったんでしょうね。

さらに勢いでブログ書いちゃってるから、ますます睡眠時間が足りない。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ