なぜ人は同じ舞台を何度も観るのだろう
この秋、レミゼのミュージカルを3回観た。
9月10日大阪公演マチネ、9月13日大阪公演ソワレ、10月3日名古屋公演マチネ。
正直、同じミュージカルを三度も観る気などしていなかったんです。
けれど、気がついたらずぶずぶと深みにはまっていました。
好きなスケーターが使っていた、映画が好きだった、なぜか民衆の歌を英語と日本語とフランス語で歌えるよう練習している、
それらが最初観に行こうと思ったきっかけでした。
レミゼのミュージカルが日本初演から30周年だということすら知らないレベル、つまりただのにわかです。
昆夏美さんのエポニーヌと森公美子さんのマダムテナルディエは鉄板だろうなと思いつつ、それ以上はよくわかりません。
けれど最初に姉夫婦とレミゼを観た日の夜、熱い思いが止まらなくなってしまいまして。
母にドン引きされるほどの勢いで熱く語ったら、母も興味を持ったらしく、2回目を一緒に観に行くことに。
それで最後のつもりだったのに、気がついたら自分へのご褒美でもう1公演押さえてしまっていました。
その最後に見た公演、10月3日マチネはマイベストキャストに近いような豪華な出演陣でした。
Twitterで書き損ねてたけど、こんなつぶやきが下書きに残ってたのでついでに晒しときます。
「念願の海宝さんのマリウスと上原さんのアンジョルラス、想像以上に素晴らしかった!
ニワカながら今年3回目のレミゼ、同じ内容を何度も観たら飽きるかなと思ったけど全くの杞憂。
キャストさんが変わるとこれだけ芝居の空気も変わるのかって驚くし、毎回新鮮すぎる」
今からこれのロングバージョンを長々と綴っていくつもりです。
そんなわけで、
以下は3度目のレミゼ、10月3日名古屋公演のマチネの休憩時間・終演後・夜にかきなぐったメモ書きです。
人が読むことを想定していない文章なので個人的感想だだ漏れで暑苦しいけど、ほぼ原文ママでお送りします。
なお、レミゼの主要キャストはトリプルキャストなのですが、自分が見た3回の中でのキャスト比較も出てくるので、
区別のために9/10マチネのキャストは●、9/13ソワレは▲、10/3マチネは★を後ろにつけておきます。
※レミゼのミュージカルを観ていない方には「なんのこっちゃ」という感じの内容です。お気を付けて(こら)。
レミゼ10/3マチネ覚書。
休憩なう。
第一部感想。
上原アンジョ素晴らしすぎる。ついて行きたくなるカリスマ性と求心力。
海宝マリウスがひたすら端正で熱くてかっこいい。マリウスの中のマリウスという感じ。来てよかった。
キャストによってここまで変わるのか。以下私見。うまく言葉にできてないけど。
福井バルジャン(●▲)は繊細さ・激しさ・知性の同居、ヤンバルジャン(★)は迸る熱さと愛。
川口ジャベール(●▲)は生真面目でまっすぐ、吉原ジャベール(★)は情熱と正義感。
和音ファンテーヌ(●)は心の強さと慈愛、知念ファンテーヌ(▲)は少女らしさ、二宮ファンテーヌ(★)は激情と愛。
内藤マリウス(●▲)は少年らしい無邪気さ、海宝マリウス(★)はどこまでも誠実な好青年。
相葉アンジョルラス(●▲)は華とスター性、上原アンジョルラス(★)は圧倒的リーダーシップと求心力。
生田コゼット(●)は愛らしさと生真面目さ、小南コゼット(▲★)は可憐さと意思の強さ。
大西ガブローシュ(●▲)は圧倒的声量、島田ガブローシュ(★)は表現力と上手さ。島田くんとにかくもう滅茶苦茶うまい。
リトルコゼットは9/13ソワレの井出さん(▲)が抜群に上手かったなぁ。
今日ここまでで鳥肌が立ったのはファンテーヌの最期、ABCカフェ、民衆の歌、コゼットとマリウスの邂逅かな。
昆夏美ちゃんのエポニーヌ(●▲★)と森公美子のテナルディエ夫人(●★)は相変わらず素晴らしい。
他のキャストを喰ってしまいそう。
第二部がひたすらたのしみ。
なお中日劇場、音響はフェスティバルホールよりぐっと落ちる。
というよりフェスティバルホールはやっぱりすごいんだな。
けど席は今までで一番近い。音響の割には一体感はある。定価で譲ってくれた方に感謝。
休憩後思い出したこと。One Day Moreは何度聞いても至高。鳥肌もの。後ろの面々の足踏み、思わず真似したくなる。
終演後
第二部感想。
On My Ownは今日も圧巻。涙が。
エポニーヌの最期、海宝マリウスの誠実さが際立ち、より泣ける。
Drink With Me、ガブローシュとグランテールが抱き合うとこでうるっとくる。
学生たちが次々に撃たれるシーン、照明も相まって凄まじいまでの迫力。素晴らしい演出。何度見ても辛い。
実際涙腺決壊したのが、革命後アンジョルラスとガブローシュが車の荷台に積まれるシーン。
胸が痛い。あれほどのリーダーシップのある彼が、あんな無残な姿で、さぞ無念だったろう。思わず感情移入した。
吉原ジャベール、執念深さと人間臭さが素晴らしい。
最期の身投げ前の葛藤、これほど説得力があるとは。
あと、ヤンバルジャンと声質ががっつり違うから掛け合いの迫力と聞き取りやすさが際立つ。
結婚式のシーンで森公美子がケーキを食べて「肉よりうみゃあ!」と笑いを取る。
大阪には無かったセリフ。名古屋だけのアドリブか。さすがの存在感。
バルジャンの最期、ファンテーヌが迎えに来たとこでまた涙腺決壊。
あれは反則。
今回はエピローグの歌詞を暗記していたため、自分的により感情移入。家なら号泣しながら歌ってた。
アンコール、マチネは子役がいるから最高!
島田ガブローシュがダッシュで上原アンジョルラスに飛びついてきてからの躍動感あるくるくるハグが2回、
それに触発されたのかジャベールがリトルコゼットをかなりの勢いで高い高いするなど、微笑ましすぎるし眼福そのもの。
大阪の2回では相葉アンジョに恋をしたといってもいいほどだったけど、
上原アンジョはそのはるか上の存在感でかっこいいというよりもただただその背中について行きたい感じで、
でも青さと線の細さのある相葉アンジョの痛々しさが余計に際立ったり、つまり何が言いたいかと言うとアンジョが最高。
いちばん好きな登場人物かもしれない。
アンジョのいろんな歌を私も歌いたいけど、やっぱり男らしくないとハマらないから残念。
CDぐずぐずせずにはよ買おう。
英語版と日本語版、フルのやつ。
で、聴きまくって歌えるようにする!
あれは1曲ずつ取り出すよりも流れが大事だ。
同じ舞台をなぜ何度も見るのか。
フィギュアスケートやその試合でもないのに、こんなにハマるとは。
こんな見方があるとは。
キャストの組み合わせ、日程、劇場、お客さん、全てが水物。
やっぱり上演芸術はすごい!!また卒論読み返したいしもっと手を加えたい!
なぜこんなに人は上演芸術にハマるのか、感動するのか、論文形式じゃなくそこに感情や思いや熱さも乗せて、書きたい!!
ひさびさにこの感覚。自分の思いを、留めず皆に、伝えて共感を!
思えば9/10マチネ観劇後でもこんくらいの熱さがあったんだな。
母に吐き出したあと、書かずに流れてしまってたけど。
だからこそ、もう1回、ひとりで、今日このキャストで見に来たこと、本当にすごく意味のあることなんだ。
人生に無駄は何も無いし、ここぞという時を逃しちゃいけない。
すべての感動が次へ繋がる、未来を生きる力になるのだから。
―――
追記。夜、家にて。
内藤マリウス(●▲)は全てが初々しく少年っぽくて、そこが魅力でもありつつ、
なぜ度胸があってしっかりしたエポニーヌがあれほどぞっこんなのか分からないような。
精神的に釣り合わなさそうな(失礼)。
だが、海宝マリウス(★)、あの説得力はやばい。誰もが盲目的に恋したくなる。
正直レミゼでコゼットとマリウスがシナリオ的にいちばん共感できないけど、
海宝マリウスは全てに「彼なら仕方ない」と思わせるような誠実さと生真面目さと地に足ついた落ち着きがあり、
だからこそコゼットの存在意義も際立つように感じた。
このマリウスがこの非常事態で恋に落ちる、我を見失う、それほどコゼットは魅力的な女性なんだろうなという説得力。
絶望の中だからこそ際立つ純粋な愛がそこにある(書いてて恥ずかしいぞ)。
そうか、レミゼってこういう物語なのか。
たくさんの絶望・無情感の中、そこにある愛はベタベタ甘くて周囲から浮いてて余分なものなんか決してじゃなくて、
必然性のある、あの世界だからこその愛なんだ。
何となくわかったような気になっていたけど、海宝マリウスは心にすとんと落ちる答えをくれた感じだ。
素晴らしい役者さんだ。
そして上原アンジョルラス(★)。
役者さんの知識がない中色んな意見を検索してみて、相葉アンジョ(●▲)を称える声も多い中、「アンジョっぽくない」
みたいな言葉もあって、どういうことだろう相葉アンジョもとても素敵じゃないかと思ってたけど、そういうことか。
そりゃ、上原アンジョを見慣れてそこに惹かれ恋焦がれてきた人は、相葉アンジョには戸惑うだろうな。
上原アンジョは兄貴・リーダー・骨太・情熱・導師といった印象。
うまく言えないが、この背中について行こう、きっと大丈夫、そんな求心力と安心感がある。
彼は海宝マリウス同様、レミゼにおいて必然だ。
なぜ学生達は無謀にも立ち上がったのか。アンジョルラスがいたから。
なぜ学生達は圧倒的不利とわかっても進んだのか。アンジョルラスがいたから。
なぜ学生達は死ぬと分かっていても逃げずに最後まで立ち向かったのか。アンジョルラスがいたから。
「なぜあんな無駄なことを」とは言わせない説得力が、上原アンジョにはあった。
この人なら信頼できる。
この人になら、自分の命を任せてもいい。
この人と一緒に最期を迎えてもよい。
そんな気持ちが痛いほどわかる。
死ぬかもしれない恐怖に、自由を渇望する気持ちが、勝つ。
現代ではありえないそんな世界に、恐ろしいほどに共感してしまう。
上原アンジョと海宝マリウスなら、革命も成功してしまいそうだ。というか、なぜ失敗したのかわからない。
けど私は相葉アンジョも好きだ。
きらきら輝く王子のようなカリスマ性、盲目的に信仰してふらふらとついて行ってしまうような、
眩しいくらいの煌めき(書いてて恥ずかしいぞ)。
上原アンジョが民衆のリーダーなら、相葉アンジョはまるで宝塚のスターだ。
ごたくは抜きにして、問答無用にかっこいい。
相葉アンジョと内藤マリウスって、なんだか最初っから革命が成功しそうにない頼りなさがあって、とても学生っぽい。
そこについて行きたくなる広い背中やこの人なら大丈夫という信頼感はなくとも、
死なばもろとも、一緒に突っ込んでやろうじゃないかという気持ちにさせられる。まさにカリスマだ。
だからこそ、
上原アンジョについていった学生達の無残な死は「自由を求める覚悟の重さ」を感じられて涙がこぼれるし、
相葉アンジョについていった学生達の無残な死は「若さゆえの猪突猛進さと痛々しさ」が骨身にしみて辛い。
こんなにもキャストさんで芝居の印象が変わるんだなぁ。素晴らしい。
やはり人間が生で演じる上演芸術は最高だ。
そろそろ寝るぞ。今日こそ12時には寝れると思ったのに、もうこんな時間(2017/10/04 01:42)。やべー。
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こんなかんじです。
こんなかんじで、ずぶずぶと沼にはまっていく音が聞こえます(笑)
あの日以来、上原アンジョルラスと島田ガブローシュが忘れられないんです。
あの2人の組み合わせが、私の中の何かを変えた気がする。
ちなみにバルジャンとジャベールは、福井さんと川口さんの組み合わせが好きかも。
ここで、タイトルにもある「なぜ人は同じ舞台を何度も観るのだろう」という問いについて。
大好きなフィギュアスケートの場合、スケーターが失敗することも多いしむしろ完璧が見られることの方が少ない。
だから、同じものなどひとつもなく、何度見に行っても全く違うどきどきとわくわくがそこにはある。
試合特有の緊張感や、目標を達成できた瞬間の喜びを共有したくて、会場に足を運びたくなる。
そういった意味で、同じアイスショーを何公演も観たり、毎試合チケットを取りたくなる気持ちは存分にわかります。
けど正直、
役者さんは失敗なんてほぼしないし、ストーリーもセリフも毎回同じだし、何度も観に行く理由がわからなかった。
そう、レミゼを観に行く前までは。
でも、「同じものなどひとつもない」という点では、スケートもミュージカルも同じなんです。
特にダブルキャストやトリプルキャストの場合、
演じる人によって物語の世界観や色味が全く違って見えたり、組み合わせによっても演技が変わってきたり。
そういった視点に立つと、同じミュージカルでも何度も観ても飽きない新鮮さがある。
また、役者さん目線からみても、同じ役を何度も何度も繰り返し演じることになる。公演期間が長いと特にそう。
すると、期間中に役者さんの成長っぷりや感情の変化を味わうことも出来るんです。
当然、慣れてくるとアドリブがあったりちょっとしたしぐさの違いが出て来たり、役者さん側が変化を加えてくることもある。
映像に残らないからこそ、その変化を見逃したくないと思ったら劇場に通うしかない
つまり問いの答えはこうです。
「同じ舞台なんてひとつも無いから。」
上演芸術って演者・空間・観客がひとつとなって成立するものだから、毎回異なる水物なんだということは
十分わかっていたつもりなんだけど、レミゼを観て、ぶれることの無い「圧倒的真理」として確信しました。
いやーおそろしい世界を知ってしまいました。
大学の実地演習で宝塚歌劇を観たときも同じことを思ったけど、その時はその一回で踏みとどまれた。
けど、レミゼはすでに今年3回も観てしまった。
これ以上、お金のかかる趣味を増やすわけにはいかないんです…!
とかいいつつ、2019年のレミゼもきっと見に行ってしまうんだろうな。
なんなら名古屋公演がまだ終わってないので、今年もう一回見に行ってしまいそうな勢いです。
けど、もうアンジョルラスが上原理生さんの公演は無いので、ぐっと我慢しておきます。
追記。
上原さんが再来年はアンジョルラスをやらないっていうのは本当なんだろうか。
あの人以外のアンジョルラスは考えられないって言いたくなるくらい、速攻で落ちたのだけど。
もっとはやく出会っていたらなぁ。