あふれゆくこの想い
タイトルはレ・ミゼラブル「心は愛に溢れて」冒頭部分からです。
浮かれぽんちマリウスくんを想像しながら読んでください。
なんなら歌ってください。
あふーれーゆくーーー♪このーおーもいーーー♪
書き出しから何言ってんだこいつって感じですが、しゃーないです。
いろいろ溢れ出して止まらないよ!!
というわけで行ってきました上原理生ソロコンサート2018@練馬文化センター!
その感想です。
驚くほどクソ長いです。はぁ~何やってんだこの暇人はってレベルでクッソ長いです。
開演前、第一部終了時、終演時、夜ホテルにて、翌日帰路にて、以上5回に分けて書いたiPhoneのメモが元になってます。
いやー書いた書いた、書きまくってやったわ。
後半に向けて熱量がヤバ目です。
というわけであまりにヤバいとこは加筆修正しつつほぼ原文ママでお送りします。
いつもはiPhoneのメモ部分に色つけたりするけど、あまりに長くて読みづらいと思うので今回は真っ黒なままです。
お暇な時に読むことをお勧めします。
上原理生ソロコンサート2/1(木)感想
[開演前]
やたらめったらそわそわしながら電車に乗ってここまで来た。
夜もなかなか寝れなかったし、まるで遠足前夜の小学生みたいだ。何年ぶりだこの感覚。
新幹線でふと思った。
遠距離恋愛の恋人に会いに行くのってこんな気分なんだろうか…。うーん我ながら馬鹿っぽい感想。
けどそんだけそわそわふわふわどきどき楽しみにして来たんだ。
ホール、めっちゃ素敵…!!
丁度いい大きさ、上質な空間、きっと響きもいいんだろうな。
うわあああああああ!!たの!!しみ!!!
開演前からこんなに浮き足立ってるのひさびさだぞ!
こんなんで最後まで持つのか!
「!」がやたら多い!!まぁいいや!
自分へのご褒美、とくと堪能しよう。
[第一部終了]
はぁ~すんばらすぃいいいいい
なんかもうね、すごくよい。
ひとつずつ語りたいくらいだけど、言葉がするする手からこぼれ落ちてく感じある。
きてよかった。しあわせ。
これほんとにあの某ラジオで小学生男子なノリだった人と同一人物なんだろうか。
ヨイトマケの唄素晴らしすぎる。
情景が目に浮かぶ。
ああ、この人はやっぱり俳優でミュージカルの人だなぁと。
冒頭アカペラですでに泣きそうになった。
その後のMCで、若い人もいるしはじめて聞く人もいる、良い歌を歌い継いでいけたら、自分は作詞家でも作曲でもなく
神様からもらった才能で伝え続けていく人なんだ、というようなことを言ってたのが印象的で。
ヨイトマケはじめてきいた。つたわりました。
は~語彙のなさが悔しい。
アカペラとは思えない声量。
うたをうたうってこういうことなんだ。
わたしはなんにもわかってなかったな。
技巧だけじゃダメ、でも技も必要。
けどそれよりももっと大事なのは、「何をどう伝えたいか」なんだろうなぁ。
歌ってやっぱりすてきだなぁ。
私も歌いたいだなんておこがましいけど、でも「ちゃんと」歌えるようになりたいなぁ。
隣のねーちゃんちょいうざい。むースケートにも時々いる「ハズレ」や。
口パクとはいえ歌うのはやめてくれ。
だめだ、感想がうまく言葉にまとまらない。ふわふわ熱に浮かされてる感じ。ちょっと時間置かないとだめだなこれ。
[終演後、練馬駅にて]
は~ほこほこしあわせ。
手袋いらない。
外は雪だ~綺麗だなぁ。
理生さんが何度も、歌うことが好きだ、幸せだと言ってたのが印象的だった。
ああ、この人は本当に歌を愛し歌に愛され歌と共に生きる人なんだなぁ。
いろいろ書きたいことはあるのに胸がいっぱいだ。
幸福過多。そんな言葉あるか知らないけど、そんな気分。
その時の感動や思ったことって淡雪のように消えていってしまうけど、
でもそこに確かに「幸せ」があったんだっていう余韻が消えることは無い。
[ホテルにて]
めっちゃポエム書きたい。
というか、じっくり振り返って感想書いてきたいんだけどポエムがよぎってまともな感想を端に追いやってく。
だめー聴きながら感じたそのまともな感想が大事なの!
霞のように儚いその感想、1回きりの「ナマ」のその場で感じたその感想こそが…!
あとからあとから無尽蔵湧いてくるポエムよお願いだから邪魔をするな!!!
気を取り直して。
既に霧となって空気中に分散していってしまった余韻と感想をかき集めて形にしていきたいと思います。
順番に振り返りたいし、上と重複するかも。
あースマホじゃなくてPCで書きたい。
ポメラでもいい。
とにかくキーボードでかたかた速記したい。
スマホのフリックじゃ私の頭の中の思考スピードにまったくついていけない。
まって逃げないで…!
真剣にスマホにBluetoothで取り付けれるキーボード探したくなってきた。
ほらこうやって脇道に逸れるから書きたいことがするする逃げてくんだよ。
[(プログラムを見ながらのふりかえり開始)(こっからやたら長い)]すでにうろ覚えだし多少前後してるかも。
[第一部の流れと感想]
出てきてすぐに何も言わずにThis Is The Momentを歌い始める理生さん。
頭もじゃもじゃ。スーツぴしっと、胸のブローチ?とボタンがきらっとしてる。
第一声から、「ああそうだこの声だこの声を聞きたかったんだ」ってなった。
ホールの響きの良さを実感。席が後方だから、ふわっと伸びてじわじわと客席に散っていく音の粒が見える(気がする)。
そこからMC。声楽に出会ったきっかけの高校時代について。
練馬文化センター、大ホールの方だけど、高校の入学式があったとこなんだって!
1年生の時は客席にいたけど、2年生以降は舞台下手の上に立って歌ってたって。
その場所に、こうしてソロコンサートという形で戻ってこられて嬉しいと。
とにかくこうやってお客さんの顔が見られて嬉しい。よろしくお願い致しますと。
そこから3曲続くクラシック曲についての解説。
Caro mio benは声楽を学ぶ時の基本となる歌。愛について。
イタリア人らしく、情熱的に歌い上げてる。この年になってようやく馴染んできたor分かってきたみたいな事を言ってた。
Carusoは大阪のおばちゃん(演出家さん)に「絶対似合うで」みたいな事を言われて歌ってみたら気持ちよかったと。
そして歌。馬鹿みたいな感想なんだけど、巻舌が凄いなって。
私合唱団時代、巻舌がどうしてもできなかった。
ラテン語の曲集があって必須だったんだけどできなくて、ハミングでごまかした苦い思い出。
映像で見たことあるとはいえ、理生さんがクラシック歌ってるのを聴くのはこの前のアダムスコン以外では初めてで、
それこそがっつり聴くのは初体験なわけだけど、改めてすごい人だなぁと。
これがクラシック、これぞクラシック。
基礎があって学があって天賦の才能があって、そうじゃないとたどり着けない世界。
は~すんばらしい(軽い)
イタリア語に限らずとにかく外国の歌って、歌詞が読めたら外国語に聞こえるわけじゃないじゃないですか。
どうしても日本語だと響きや発音がうすっぺらくて、もうそれは言語的に仕方の無いことで、
所詮「日本人が歌うイタリア語っぽい歌」になりがちというか。
けど理生さんは、あっちの言葉っぽい湿り気というかこもり具合というか厚みがしっかりあって、重厚ですごい。
や、そんなにクラシック詳しくないけど、ほぼミュージカルの理生さんしか知らないわけで、
「これが藝大声楽科か…!」って訳の分からない感想が浮かんだ。
声楽家感がものすごい。
からのMC。「イタリア語、何言ってるか分からないでしょ?だから次は日本語の歌を歌います~。」
なんだそのほわほわ感。さっきの声楽家はどこへ。
そして曲の説明。
愛の讃歌。もともとはシャンソン。エディット・ピアフの。越路吹雪、作詞家の方の話。
見上げてごらん夜の星を。もともとはミュージカル曲(へぇ知らなかった!)。
とてもいい歌だからシングルカットされて坂本九が歌って有名になった。
ヨイトマケの唄。「この若さでなんでヨイトマケの唄なんだって思ったでしょ」で起こる笑い。
近所の人がCDを貸してくれて「なんていい歌なんだ」と思った。「変わった高校生でしょ」でまた起こる笑い。
ヨイトマケとは土方の労働者のこと。今は存在しない。母と子の愛。
母が子を思う気持ち、子が母に対し抱く思い、そういうものが詰まってる。
そして歌。
愛の讃歌。深みがあって、伸びやかで、女性の歌だと思うんだけど本当にしっくりきて。
変な言い方だけど、ああこの歌は本当に「愛」の「讃歌」なんだなって思った。
愛ってなんだか口にするのが気恥ずかしくて難しいけど、すんなり説得力があるというか。
ここまで英語イタリア語と来たから、歌の意味がすっと、驚くほどすっと心に入ってきて、いいセトリだなぁと。
見上げてごらん夜の星を。ああ、この歌昔合唱団で歌ったなぁ。
だからこそ、あの時の自分、あの時の私たちの団との違いがくっきり浮き彫りになって恥ずかしくなるくらい。
もちろん合唱と独唱じゃぜんぜん表現も違うわけだけど、でもすごく昔のことを思い出した。
あの時は「歌う」ってどんなことかわかってなかったんだなぁ。
ただ音をなぞって言葉を発しても歌になるけど、それじゃ届かない。
届けるためには自分自身が歌にどんな思いを抱いていてどう使えたいか、その掘り下げが大事なんだ。
私がやってたのはあまりにもぺらっぺらで表面的で頭でっかちな歌だったなぁ。うーん
そしてヨイトマケの唄。圧巻だった。
私ヨイトマケの唄よくしらない。
あっ、これ手塚治虫の漫画の中で時々登場人物が歌ってる歌だ…!って片隅によぎりつつ(W3とかに出てきます)。
もうとにかくものすごい圧で、ものすごい表現力で、情景が目に浮かんだ。
物語が、少年が、同級生が、母が、その姿がとにかくありありと目の前に浮かんできたんだ。
すごい。
私どちらかというと歌と歌詞を一緒に聞けない人で。
うまく言えないけど、よく知ってる歌える歌でも歌詞をひらがなの1音1音としてなぞってるだけで、意味として落とし込めてなくて、
じっくり歌詞カードとか楽譜を何度も読んでようやく「あ、この歌ってこういう光景なんだ」っていう表面的なとこがわかってくる。
そういう人なのに。
歌であんなにありありと情景が浮かんで引き込まれてその溢れる想いに泣きそうになったのは初めてだ。
1遍の小説を読んだような、1つの映画をみたような、そんな厚みのある物語がたった数分の歌に詰まってた。
すごい。なんだこれすごい。
学問として声楽を追求して、ミュージカル俳優として役を演じて、そのどっちもある理生さんだからこその世界観だと思った。
あの魅せ方あの聴かせ方ができるのはきっと理生さんしかいない。
声楽とミュージカルとそして「愛」をたいせつにしてる理生さんしか。
言い過ぎかな?でもそのくらい惹きこまれたんだ。はーすごい。
MCで、若い方とか知らないかも、今日はじめて聞いた人もいたかも、それでもいい歌を歌い継いでいきたい、
自分は歌い手で作り手ではない。いい歌を歌い継いでいくのが自分の役割と。
ああ、そうだ、そうなんだ。
わたし今日はじめてヨイトマケの唄を聴いた。
それまで映像でも音楽でも聞いたことがなかって、今日が本当の初。
それが理生さんで、本当に良かった。
理生さんを通じて情景を見させて貰えて、私がはじめて聞く歌の世界観を魅せてくれるのが理生さんで、本当に良かった。
うまく言えない。
けど、歌い手によってフィルターってあって、歌そのものが持つ歌詞の意味やメロディの力だけでなく
どの歌い手がどう歌うかで歌の意味って変わって来ると思ってて、そのわたしの「はじめて」が理生さんで良かったなぁって。
理生さんのフィルターを通してこの歌を知れて良かったなぁって。
MCつづき。歌ってて泣きそうになった。観客席からもすすり泣き聞こえる。
泣いてデトックスして。寒いし雪も降りそうだし、泣いてデトックスして帰ってほしいと。
次が第一部最後の曲、これでお別れ、みたいに言いかけて、いやまだおわりじゃないけど!第一部が!みたいになってた。
そして星から降る金。あの、ここで言わせて頂いていいでしょうか。
となりのおねーさん、なかなかうざい。
いやそれまでもリアクションおっきいしガサゴソうるさいし時々感想が口に出るし拍手が2~3拍長めだし
笑い方も「きゃはーウケる☆」みたいなノリでちゃらちゃらしてるし鬱陶しいなぁと思ったけど、星金がもうとにかく最悪だった。
口パクで熱唱。
いややめてくれ。
音出てないからいいってもんじゃないでしょ。
よっぽど好きな歌なのね。歌詞も完璧ね。
けどね、あなたがぱかぱか口開けてノリノリで浸ってるの、わりとうざいの。きになるの。
ああああこの席ハズレ。ほんとハズレ。いや、席がじゃなく隣がハズレ。
このホール、音響よすぎて飴ちゃんの袋の開封音も響くレベルなのわかんないのかな?ん?
(このおねーさん、なんだか業界人っぽかった。合間でゲネの話とか練習の話とかしてて。でも信じ難い。)
スケートでもハズレっているよね。
11月の福岡でも西日本選手権もハズレだったなぁ。拍手のタイミングがワンテンポ早い(しかも大きい)人が近くで。
だってジャンプの跳び上がりで拍手するんだよ!?いやまだそのタイミングじゃ成否わからんやん!
フィギュアもミュージカルも芸術鑑賞なわけで、世界観に浸るためにも観客はある程度自制心が必要だと思うのよね。
それこそ、「世界の一部になる覚悟」というか。そういうのがない人が隣にくると、イラッとする。
人の鑑賞の邪魔はいくない。となりのおねーさんはそこんとこ最悪な部類でハズレ。
…歌の感想に戻ろう。そう言いたいけど、隣の口パク熱唱しか出てこない。泣きそう。ちくしょう。
ここで第一部終了で休憩へ。
感想もちょっと休憩。書き出したら止まらなくなるな。
(箸休め)
グッズなんですが、ワッペン買いました。
開場すぐで白い方買って、その後休憩中に見たら黒がラス2になってて、黒も気になるなぁと思いつつ
その時は去ったんだけど、終演後また見たら黒がラス1になってたから思わず購入。
実物は白の方が可愛い気がしたんだけど、理生さんと言えば赤と黒のイメージだよなぁと思ったので。
これ使ってチケットホルダー作るんだい。いま革のはぎれとがま口注文中。届いて制作するのがたのしみだ。
あとついでにCD買った。いやようやくかい!って感じなんだけど、これには色々ありまして。
某ネットショップで11月頭くらいに購入して、入荷まてひと月かかるって言われて待ってて、アダムスコンでもCD買うの
我慢したのに12月末になって「入荷出来ませんでした注文はキャンセルになりました」って一方的なメールが来てですね。
じゃあソロコンで直に買った方が効率いいなとずっと我慢してたんすよ。
あーこれでようやく理生さんの歌をがっつり聴きまくれる。うれしい。
うわ!日付が変わって30分くらいたつ。はやく寝なきゃ。
けど感想が褪せるまえに文字に起こしたい。むーがんばるぞ!
[第二部の流れと感想]
オケの方々が出てきた。
チューニングの音めちゃくちゃ好き。
これから新たな別世界がはじまるのだと思うとわくわくが抑えきれなくなる。
風船が空気で満たされてく感じ。
そしてヴァイオリンの音色でMy Heart Will Go Onの前奏はじまる。
理生さんはー?と思ったら歌いながら袖から出てきた。うわぁお衣装かわってる!かっこいい!
けど隣のクソ女おねーさんそれみて笑うんじゃないよ。いや笑うとこじゃないでしょ。甲高い声なのでイラッとする。
茶色のベストに白シャツで腰から赤いスカーフみたいなのつけてる。シャツの裾、私ならしまいこみたいけど出したまま。
髪形はハーフアップ。
わたし理生さんのハーフアップすき。
上はすっきり下はくるふわボリューミーな髪型大好物。
My Heart Will Go On、ゆあーーーひあーーーのとこの圧がすごい(つたわれ)。いやぁ最高!
MCでの模様替えしてきました!の一言に浮かぶ観客のはてな。
すかさず、あ、衣装替えか、と。いや笑ったぞ。模様替えて。インテリアか。
その後映画音楽メドレーの説明してくれてて思った。
自分の無知さが情けない。
姉や父(映画マニア)なら全部分かるんだろうなぁ。
私が見たことあるのはシェルブールだけでした。
こうね、好きな人や推しが好きな世界って、どんどん自分も知りたくなるし映画も見たくなってくる。
だって、好きな人が楽しそうに語ってるその世界が分からないってもどかしいじゃん?
スケートでも映画音楽よく使われるわけで耳馴染みのある曲はやたら増えてくけど、ちゃんと見たことないのばっかで。
やっぱりちゃんと見てみたいな。
まぁミュージカルも同じことが言えるんだけど、映画の方がより敷居が低くて手軽だしね。
使われてたやつ、ちゃんとおさらいしてみたいと思いました。
しかしメドレーのアレンジ超絶かっこよかったなぁ。
音楽のつなぎ方のバランスが絶妙。北方さんありがとうございます!
このバージョンで何度も聞きたい。今回だけなのもったいない。
MC。
まずはラ・マンチャの男について。吉原光夫さんに似合うと言われたと。
ちなみに光夫さんにコンサートでは「ラストサムライ」と紹介された。なんじゃそりゃ(笑)
そして待ってましたパレ・ロワイヤルのおはなし!
まずは1789とパレ・ロワイヤルについて。
ベルばらの時代、パレ・ロワイヤルは国王になる前のルイ・フィリップが作った家を市民(第三身分)に解放したもの。
カフェがあっていろんな人がいて政治談義の場に。
また革命やるんですよね~の決めゼリフを生で聴けてうれしい(こら)
わたくし通いますよ1789!
そして歌い始めるラ・マンチャの男とパレ・ロワイヤル。
ラ・マンチャの男、ノリノリだし手拍子がフラメンコ風でかっこいい。
いやぁ素晴らしいな。濃いからなおさらよく似合う(こら)。
音量の上げ下げで観客がよく調教された手拍子隊になってた。
パレ・ロワイヤル、理生さん楽しそう!
前奏からうおーって思った。
というのも、最近ずっと気が狂ったようにパレ・ロワイヤル(仏語版)聴いてるので。
いやーフランス語で歌えるようになりたくてね。
歌詞付きの動画で見てだいぶ歌えるようになったんだけど、意味が(当然)よく分からなくて。
学生時代の気持ちに戻って歌詞書き出して自分で訳そうかと思ってたとこ。
だから理生さんの日本語のパレ・ロワイヤル、へぇこんなこと言ってたんだってなった。
特に間奏後の歌詞、そうか仲間についてとかも歌ってたのかとちょっとぐっときた。
しかし本当に役に入り込んでて楽しそう。
間奏でまさかの客席降りだったわけだけど、きらきら幸せそうなのが伝わってきましたよ。
やー盛り上がりますねぇ。
しかもダンスまで披露してくれるとは。私もみていてとっても楽しかった!
1789への期待値が俄然急上昇。
なんなら今も眠気覚ましにパレ・ロワイヤル延々とリピートしてるし。
で最高に盛り上がってるのに間髪入れずにすっっと空気が変わって。
そのままミュージックオブザナイトが始まる。
え、MCでは言ってなかったのに!?ここでもっかいMC入ると思ってたよ!?
重厚なファントム。ぞくぞくする。
歌うまが過ぎるし不気味でちょっと妖艶で、これはファントムやれるで。
怪人な理生さんぜひみてみたい。おねがいしますえらい人。
ロングトーン、音の波動が会場にぶわっと球形に広がって拡散していくその余韻まで目に見えた素晴らしかった鳥肌たった。
なんという声量なんという圧力。
マイクいらないんじゃ。
人外ぜひやろうほんとお願いしますえらい人。
MCで、さっきオペラ座言い忘れちゃってたね、みたいに言ってた。ゆるい。可愛い。
歌を歌える幸せについてここでも語る。そして次が最後の曲だと。
ブイドイについて、どんな存在でどういう場面で歌う歌なのかを説明。
そして最後、ブイドイ。
動画でしか見ただけでもうわぁってなってて、生で聴いちゃったらどうなっちゃうんだと思ったけど、本当に素晴らしかった。
語りかけるような前半、徐々に気持ちが高ぶって、本当に説得力がすごい。
重い歌で、その重さを真っ向から引き受けて歌ってて、本当にずっしり重い。
サイゴン観たい。理生さんのジョンで観たい。再演お願いしますえらい人。
そして鳴り止まない拍手。というか「当然アンコールあるでしょ」みたいな空気。
出てきた理生さん、すぐ1曲。コーラスラインのWhat I did for Love。
MC。愛について語る。今日のプログラム、全体を通して気づいたら愛がテーマになってると。
そして「愛に飢えてるんですかね?」と。
いやいやあなたはいろんな人からそして音楽の神から愛されてるよ。おそらく観客は心の中で総ツッコミだったはず。
もっといろいろ語ってたんだけどちょっとすでにうろ覚えだ。
そして2曲目はRENTのI'll cover you。
歌い終えた後、自然と沸き起こるスタオベ。
わたしは何故か放心状態で腰が抜けたみたいになって立てなかった。
心では立ってましたごめんなさい。
客席を見渡して、手を振りながら去ってく理生さんの表情が印象的だった。
正直空席いっぱいだったらどうしようと思ってたけどめっちゃ埋まってたし(何様)、本当に大満足でした。
いつもは終演後ふわふわしててわりと浮足立ったそのまんま帰っちゃうけど、今日はアンケートちゃんと書いてきた!
虚脱状態で字がミミズがのたくったみたいになっちゃったけど、思いの丈を綴りつつまたCD出して欲しいなぁとも書いてみた。
出たら雪だった。綺麗な景色。雪国出身じゃないからこそのテンションの上がり方(わたしが)。
そういや雪と思ってお洒落を若干諦めたのでした。
さすがにホールじゃロングダウンは邪魔だからやめたけど、全体的に防寒>お洒落。
靴も以前札幌観戦用に買ったシンプルなスノーブーツ。
装備のおかげもあるかもだけど、心が満たされてて身体もほこほこしてて、手袋しなくても寒くなかった。
恐るべき理生パワー。
とりあえずこんなところか。流れで振り返るとこんなに長くなるのか。
けど聴いて思った感想は3割くらいしかかけてない。
もっと色々思ったのに…!
「忘れる」って時に必要なことだと思うけど、それでもするする忘れてしまう自分が情けない。
素敵な思い出をその時の音や自分の観たもの感じた想いそのまんまに仕舞っておける引き出しがあればいいのに。
そうしたら時々その引き出しを開けて、その時の想いをぎゅっと抱きしめて、また現実世界を頑張れるのに。
それが無理ならせめて、耳に録音機能がつけられたらいいなぁ。無理だよなぁ。
雪みて、あー綺麗だなぁ理生さんのコンサートの成功を祝福してる神様からの紙吹雪かなぁと真剣に思った。
振りかえってみるとただのポエム。しかもこっぱずかしくなるタイプ。
冷静に考えて、明日積もるかもなぁこれ。そして凍るかもなぁこれ。転ばないようにしないと。
現在時刻は1:09!ねる!!
[翌日、品川駅から新幹線にて]
あれは本当に現実だったのかな。
既にほろほろと現実味が崩れていってる。
けどあの空間、あの幸せに満たされた空間はたしかに存在したんだ。
第二部の出で立ち本当にかっこよかったな。
めちゃくちゃ好み。よい。ハーフアップは最高だなぁ。
シャツの裾出してるのにタイトなラインのベストだったから余計にそう感じたのかもだけど、理生さん細くなった?
ほんといろいろがっつり堪能できて最高でした。
終わったばっかだけどソロコンまたやろう!(こら)
改めて、「歌う」ってどういうことなんだろうって考えてる。
ただ歌うだけなら誰でもできるわけで、そういう意味ではとっても身近なものだよね。
文字を持たない文化にも歌はある。
けどそれを芸術の域にまで高めるのはまた別の話。
身体を楽器にして鳴らす、そう合唱団では教わった。
先生呼んでボイストレーニングもしたし腹筋をはじめとした筋トレもした。
けどそれだけじゃ身体はうまく鳴らせなくて。
理生さんの第一部の生歌、身体の鳴らす位置がミュージカルとはまったく違って、ぞわぞわっと鳥肌がたった。
あーそうか、私は結局できなかったけど、「身体を楽器にして鳴らす」ってこういうことなんだ。
そしてもちろんイタリア歌曲は何言ってるかまったくもってさっっっぱりわからんのだが、それでも
きっと理生さんは歌詞の内容を深いとこで理解して咀嚼してそれを表現してるんだろうなというのは伝わった。
そういうとこはミュージカル俳優ならではな気がする。
声楽もそうなんだろうけど、アプローチの仕方がミュージカル寄りな気が(何が言いたいかわからなくなってきた)。
日本語ですら「伝える」って本当に難しいのに。はープロってすごいな。
また合唱団やりたいとかそこまで思わないしボイトレとか練習とか遠慮したいけど、それでも本当に歌いたくなる。
小手先口先のカラオケみたいなのじゃなくて、きっちり基礎を押さえた上でミュージカルみたいに「伝える」歌い方がしたい。
余談。新富士なんだけど富士山まったく見えない。行きもそうだった。そういう時もあるな。
話を戻そう。
まぁなんだかんだ今の家マンションだけどわりと独立してて隣室が無いに等しいのでよく部屋で歌ってるわけだけど、
ミュージカル見に行って理生さんにハマるようになってから自分の歌い方が変わった気がする。
私も歌うことが大好きで、わりといつも歌ってる。リアル知人には内緒ですが。カラオケとかは好きじゃないし。
ま、そんで帰省してもよく歌ってるわけですが、父や母から「最近歌がうまくなったね」と言われるようになった。
声が大きくなったし、何より言葉や感情が伝わるようになったと。
私もともと滑舌が悪い。姉いわく「舌っ足らず」らしい。自覚はない。
合唱団時代から、どうやったらはっきり言葉を歌にのせられるのか苦戦してきた。
それこそ、ソプラノ全員の前でひとりだけで歌って、録音されてかつみんなから感想書いてもらう苦行があったんだけど、
その時も「子音をはっきり」「低音をしっかり支えて」ばかり言われた。そうです低い音も苦手。
高音はお手の物だけど低音はほんとにふわふわ浮いてきてしまう。
でもミュージカル見て、ちょっとわかった気がする。
ミュージカルでは大抵ひとりで歌ってしかも歌詞が客席に伝わらなきゃいけない。合唱より高度。
で、皆さん口の形と表情がすごいんだよね。
音無しでも何言ってるか分かるくらいの口の動き。
そして、表情つけると音自体に喜怒哀楽が乗るのもわかって、すごい目からウロコだった。
思わず鏡の前で自分の口元と表情見ながら歌の練習したよね。そんなこと合唱団時代でもしたことなかったのに。
しかもそれはあくまでも技巧の部分で、それだけじゃなくて。
それこそ夢やぶれてとかOn My Ownとか、ああいう歌ってサラッとも歌えるわけだけど、表現しようと思うとめちゃくちゃ難しい。
繊細さと強さと怒りと絶望と悲しみと、いろいろなものを伝える必要がある。
ミュージカルはお芝居なわけだから、その表現が本当に大事で、それには技術も必要で。
何を伝えたいのか(意図)があって、それをどうやって伝えるのか(技術)があって、その融合なんだ。
歌に説得力を持たせる。本当に難しい。
けど例えば理生さんの「新たな時代は今」とかものすごい説得力なわけで。
恐怖政治をする側のいわば「悪役」なのに、共感・同情をしてしまう。
これが音楽の力で、歌い手の表現力なんだなぁと。
…だんだんソロコンの感想からかけ離れてきたな。
けど、ソロコンで極上の歌声に浸りながらどこかで「歌うこと」について真剣に考えてる自分がいたんだ。
歌で感動を伝えるってどういうことなんだろう。
私卒論で、「フィギュアスケートにおける感動とは」を書いたんですね。
美学芸術学的に見て、なぜ人はフィギュアスケートに感動するのかを考察した。
スポーツ観戦的な要素と衣装音楽振付の審美的要素の両方をを考察しつつ、バレエや舞台芸術との比較もしつつ、
感動が生じるメカニズムについて掘り下げていく内容で。
自分が好きな世界、のめり込んでしまう世界について、きちんと文献を読みこんで考えていくのが本当に楽しかった。
なんだか無性にあの時のことを思い出す。
理生さんの歌聞いてると、「上原理生の歌声における感動とは」っていうかたい論文ちっくな文章を2万字くらい書きたくなる。
上演芸術における感動って根っこの部分では共通してると思うけど、細部はやっぱりちがう。
それこそミュージカルとソロコンではまた違う。
けど私は理生さんの歌声が本当に好きで、聴くたびに新たな自分に生まれ変われる気がして、
いまやもうその歌声を聴くことが生きがいみたいになっちゃってるんだ。
いつの間にこんなに好きになっちゃったんだ。
アンジョルラスのあの1回が引き金なわけだけど。
1回聴くだけでここまで恋焦がれるほど引き寄せられるその歌の力、なんなんだこれ。は~。
くそ長いな。けど溢れ出す思いが止まらない。
理生さんが歌うことをやめることはないだろう。
あの人はきっとそういう人種だ。おじいちゃんになっても歌ってる。
それでも、できるだけ長く人前で歌う人であってほしい。
そして、私みたいに理生さんお目当てじゃなくて観に行ってて、というかむしろまったく知らなくて観にいってる人の
横っ面をその歌声でガツンと殴って沼にずぶずぶ引きずりこみ続けてほしい。
あの人の歌をこれからも支えたい。
これは真剣にファンクラブ入るべき?教えてカミサマ私はファンクラブの会員になるべきなの?
お誕生日月の前月なわけで、ちょうどいいタイミングなのかもしれないな。むーん。
終わりかと思ったけどまだ終わらない。
理生さん、自分で作った歌がある訳じゃないですか。
「美しく生きたい」。それをソロコンなのに歌わないとこがまた、理生さんらしいのかもしれない。
作る方ではなく歌い手としていい歌を歌い継いでいきたい。そう言ってたその言葉のままだなぁと。
この前梅田でマタハリ(また感想書きます)を観た帰りにジュンク堂でActor's Mind買ったわけだけど、
そこにも「歌の依代として歌いたい」と言ってて、はーすごいなと。
私、俳優っていい意味で自己顕示欲の塊だと思ってて、というか上演芸術側の人って誰しもそうだと思うんだけど、
それでも理生さんはまたちょっと違うのかなぁと。
「俺を見て」よりも前に「この歌を聴いて」があるというか。
だからこそ、歌によってガラッと人が変わる。
役のない歌でも、役として演じてるように感じるくらい、歌の感情を伝える役者になってるというか。
喋り始めるとわりとほわほわした「上原理生」が出てくるわけだけど、歌ってる時は「上原理生」以上に「その役の人」感が出てる。
本当に声楽でもロックでもなくミュージカルの道に進んでくれて良かった。
じゃないと出会えなかった。
そのうえで、ロック好きだった面や声楽をきっちり最高峰の場で学んだ面や、そういう面も全て活かされているのが嬉しい。
これからも、クラシックもミュージカルもどちらの世界もみせてほしい。
ふと思い立って文字数カウントしてみたら、メモ書きなのに既に11000字以上いってる。いちまんて(笑)
いかがです?長いでしょ(笑)
まさかこんなに長くなるとは自分でも思わなかった。
しかも思考があっちに飛んだりこっちに飛んだりで、脈絡のない話がぽっと出て来たりしてるし。
これだけ長いと推敲するのも一苦労ですよ。だからほぼそのまま載せますよ。
ぺらっぺらに薄い感想と回りくどい感想が入り混じってるけど。
読み返してて思ったけど、「すごい」ってワードを使うなって言われたら感想書けなくなるな。
確実に言えることは、理生さんは私の中で「語りたい」人なんだということ。
いや、実際に人に語るという意味ではなく、自分の想いを整理して書き留めておく場所がほしいというか。
歌声を聴いてると、自分の中の熱いものがマグマみたいにどくどく膨れ上がってきて流れ出すのを止められなくなる。
でもこんなことリアルでは語れないぞ?
というか本当の「推し」について語るのがどうも苦手でね。萌えは文章にするに限る。
だって、結弦くんが好きだって友達にも言ったことないレベルだよ!ついつい「スケート全般が好き」的な態度を装っちゃうよ!
言ったつもりはないのになぜだか家族にはバレバレだけどね!←行動を見てたらすぐわかる(笑)
あ、でも夏にばったり再開した昔の英会話教室時代の仲間(おじさん)に早口で言われた。
「前から思ってたけど○○(私)は隠そうとしても隠しきれないオタクオーラが出てるよね!
他の人にはわからんだろうけど俺にはわかるよ!あ、気にしないで大丈夫!俺もオタクだから!!」
あ、わかっちゃいましたか…ひぇえええワロタわろえない…。
「好き」をどのくらい出すかって難しいと思います。
本当の恋愛もそうかもだけど、趣味的な「好き」や「推し」への「好き」はまた違った難しさがあるというか。
だって興味ない人はまっっったく興味ないわけじゃん?
語って仲間に引きずり込むっていう手もあるのかもしれないけど、まだまだ恥ずかしくてできないや。
だからこうしてひっそり書くんです。私は。で、長くなるんです。こことTwitter以外出す場がないから。
上でも書いてるけど、理生さんが小さいころからずっと歌ってて今も歌うのが好きで歌えることが幸せだと言うのを聞いて、
そして何よりその歌う姿を見るたびに、この人はこれからも場所や形が変わってもずっと歌い続ける人なんだなぁと思います。
じゃあ私が年を取ってもずっと続けることって何かな。
いろいろ思い浮かぶけど、いちばんは「つくること」だろうな。
仕事という形じゃなくなっても、私はきっとつくることはやめないし、これからもなにかしらずっとつくり続けていくんだろうなぁ。
そうやっていつも理生さんの歌から勝手に自分へのフィードバックを貰って、またこれからも頑張ろうと思えているのです。